ドラムの高瀬です。前回のブログはこちらでご覧いただけます。
大学3年生のある日、breeding freesiaのライブを大塚のライブハウス(DeepaかHearts)に一人で観に行きました。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムの4人編成。メンバー募集の紙に書いてあった通り、レッチリやIncubusが好きなんだなぁと聴いていて伝わってくる音楽性。歌詞も英語だったかな。
唯一ドラムの方がサポートメンバーだったようで、彼らは正式メンバーとなるドラムを探していました。そんなところに学生の僕が入りたいと扉をノックします。
ライブ終了後にメンバーと軽く話して、一度吉祥寺のスタジオに入ってレッチリの曲を合わせて、正式メンバーとして入ることが決定します。
そのあと週に何回くらいのペースでスタジオに入ったのか、メンバーとどんな話をしたのか具体的には思い出せないですが、曽根さんとは特に好きなアーティストや音楽性が似ていて語り合ったのを覚えています。その当時住んでいる場所も近く、結構頻繁に会っていたように思います。
結局、周りの流れに半ば身を任せるかたちで就活を始め、内定も無事決まったタイミングでbreeding freesiaを離れることにしました。結果的に僕がメンバーから抜けるタイミングでバンドは解散し、僕がbreeding freesiaのメンバーとしてライブに出たのは1回だけ。吉祥寺のシルバーエレファントというライブハウスで、お客さんは僕の当時の彼女とその友達の2人だけだったと思います。
半年間というとても短い期間でしたが、breeding freesiaでの活動を通して、バンド活動って大変だなぁと他人事のように思っていたかもしれません。そういったこともあってか、この頃はバンドで生計を立てていくという選択肢はなかったように思います。
そして、大学卒業間近のタイミングで曽根さんから連絡があり、あるギターボーカルとスタジオに一緒に入らないかと誘いを受けます。そのギターボーカルが、FANSYのボーカルギターで元メルヘンベリーの菊地さんでした。
調布にあるスタジオで、3人でミスチルの曲を合わせました。どの曲だったかは覚えていませんが、確かにミスチルの曲でした。いい声をした、でもちょっと変わった人だなぁというのが当時の菊地さんの第一印象でした。
大学卒業後、僕は総合電機メーカーの営業として働き始めます。バンドをやることはもちろん、ドラムを叩くこともめっきり減っていました。そんな中、曽根さんと菊地さんはMARCHEN BERRYを結成し、積極的にライブ活動を始めます。
次回のブログでは、会社員として働きながら始めたバンドMUSUTOWAについて書きたいと思います。